トレーニング・デイ

トレーニング デイ 特別版 [DVD]

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下記映画批評を読んだ上での私の批評。


『「小悪を倒して巨悪を倒さず」という終わりには納得いかない』というのが下記批評における主張であるが、私はそうは思わない。
「毒をもって毒を制す」というデンゼルの「小悪」が「巨悪」となりはてた印象である。

例えば捜査令状買収の為の軍資金。売人の家、つまり悪事を働いて稼いだであろう金であることは確かだが、既に本人は囚われの身。
そこを偽の捜査令状をもって、妻と子どもだけの家に乗り込み、奪うことが果たして「毒を制す」目的の為と言えるだろうか。

イーサン・ホーク演じる若手刑事に対する扱いも同様だ。
売人のボス宅へ乗り込んだ際、「He has a magic eye. Don't kill him!」と生かしておいたにしても
「撃ったのは新人だ」として、悪事が露呈した際の責任を「トレーニングデイ」にかまけてなすりつけようとした。
ヤクを吸わせたことも、口を割りそうな新人をマフィアに処理させようとしたことも、それを顕著に示す。


確かにトレーニングデイ当日迄に100万ドル用意できなければ、ロシアマフィアに殺されてしまうという状況があり、
同情すべき事情があったかもしれない。だがそれもこれも「自己保身の為」。
自己保身の為に手段を選ばなかった。タガがはずれてしまった証拠である。

つまり「彼自身がマフィアのボスと化してしまった」ということを、この脚本では伝えたかったのではないか。
そう考えると、最終的に窮地に追い込まれているデンゼルを「無法地帯」の住人が見捨てるシーンも、
ロシアマフィアに蜂の巣にされる壮絶なシーンも、納得して見れるのである。


とはいえ、下記書評のようにはじめは私もデンゼルに共感してしまったし、またデンゼルを生かすという道もあったのでは?とも思うが。



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「毒をもって毒を制す」というデンゼルに共感してしまったのが後味の悪さの原因。確かに彼のしていることは犯罪行為だが、麻薬組織の親玉を沢山検挙してきた有能さも同時に備えている。「毒をもって毒を制す」という考えと「”justice”は絶対に守らなくては」という考えとの対立ー私は有能刑事の「悪」を100%憎んでしまう新米刑事の考えに最後まで共感できなかった。”justice”という言葉に狂信的な信仰を持つ一部のアメリカ人の姿が目の前にちらついたせいかもしれない。私は新米刑事が上司を陥れたり命を救ったりして逆に彼を操る立場に回る・・・という結末を期待していたのに、ラストで「善と悪の戦い」になってしまい、かなりがっかりした。麻薬撲滅を目指す刑事だったら、悪人とはいえ生かしておけば今後の捜査に有効利用できそうなデンゼルを見殺しにしてしまうことに葛藤を抱くものなのではないのか?デンゼルの貴重な人脈や情報、能力を失ったことを新米刑事は後々後悔するのではないか?と考えてしまった。デンゼル・ワシントンの強いカリスマ性とイーサン・ホーク演じる若手刑事の熱意の争いにおいて私はデンゼルに軍配を挙げてしまったので、最後はついついデンゼルを応援してしまった。(常識からいってデンゼルが勝つエンディングが許されるわけはないのだが)だって少なくともデンゼルは無実の一般市民を殴ったり殺したりはしてないじゃん。ああいう結末にするならもっと極悪人にしてくれないと後味悪い!刑事が主役なのに「小悪を倒して巨悪を倒さず」って終わりは納得いかない!!
http://www.tcp-ip.or.jp/~iwamatsu/bbs_log01/trainingdays.html TEN様の批評より抜粋)
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