吉村昭 「三陸海岸 大津波」

「すさまじい轟音が三陸海外一帯を圧し、黒々とした波の壁は、さらにせり上がって屹立した峰と化した。そして、かい海岸線に近づくと峰の上部の波が割れ、白い泡立ちがたちまちにして下部へとひろがっていった。…波は、すさまじい轟とともに一斉にくずれて村落におそいかかった。家屋は、たたきつけられて圧壊し、海岸一帯には白く泡立つ海水が渦巻いた。人々の悲鳴も、津波の轟音にかき消され、やがて海水は急速に沖に向かって干きはじめた。家屋も人の体も、その水に乗って激しい動きでさらわれていった。干いた波は、再び沖合でふくれ上がると、海岸に向かって白い飛沫を撒き散らしながら突き進んできた。そして、圧壊した家屋やかろうじて波から逃れた人々の体を容赦なく沖合へと運びさった。ジャバ島付近のクラカトウ島火山爆発による大津波につぐ世界至上第二位、日本最大の津波三陸海岸を襲ったのだ。」

2011年3月11日の東日本大地震・大津波をさかのぼる事100年以上前の明治二十九年。想像を絶する大津波が人々を襲った。死者数26,360名。地上には壊滅した家屋と無数の死体。バラバラになったもの、逆さまになって埋れたもの。。梅雨の時期のため、少し時が経てば蛆がわく。その肉を野良犬が喰らう。腐臭が漂う。海面にも死体の山が。何十人の力を
かりて漁網で一斉に上げようとしても、重すぎて引き上げることができない。海水を飲み込んででっぷりと太った死体。それが50も、60も揚げられる。残された人々は、空腹と寒さとに耐えながら、ほそぼそと溺死者の追悼をあげる。

死体の多くは土砂に埋れていたというが、それらは当初掘り起こしても簡単には見つけ出せない。そのうち経験も積み重ねられて、したいの埋れている場所を的確に探し出せるようになったという。死体からは、脂肪分が滲み出ているので、地上一面に水を流すと、ギラギラと油の浮く箇所が現れる。その下を掘り起こすと、埋没した死体を掘り起こせる次第だ。

本書の中には、単なる津波という事象の記録に留まらず、そこで生活していた人々が直面したエピソードが盛り込まれている。幾多のかけがえのない生活、歓び、そして生命。それらを一瞬にして流し去った自然。