インド人に学ぶ

どうもーお久しぶりです!
yorokobi-noです☆

今日は、近年多くのニュースで騒がれているインドについて、
人生の半分近くをインド駐在で過ごされたビジネスマンによって
書かれた本を紹介します!


インド人に学ぶ

インド人に学ぶ


インド人の生き方と社会・ビジネスの実態
〜長期滞在の経験からインド財閥とビジネス、今なお残るカーストなど、
インドとインド人の“生”の姿を紹介!



「インドは筏」
巨大かつ多元的なインド社会は、不安定さをテコとして安定を保つ。
並のサイズの国ならダイニュースになるような政治・社会問題が絶え間なく発生し、そ0のうえ、カシミール紛争を始め、アッサム独立戦線問題、タミール問題やダージリンのグルカ問題と、数え上げたらきりがない。実に不統一不安定な様相だがインドという国はびくともせずに生きている。独立以来、分裂の危機に瀕したことなど一度もない。なぜなら筏であるインドでは、対立や小競り合いが、いわばインドの自浄作用となっているからである。

「筏人生」
人の心も筏のようでありたい。切羽詰まった状態に追い込まれたら、心は一度滅び、無になったらいい。滅びた餓えで束寝直し、柔軟な筏にしたらいい。一度滅びたら二度滅びることはなく、滅びの美に生きるのもストレス満杯の世の処世術だ。


カースト制度
インドの階級差別は、ヴァルナとジャーティとで特徴づけられている。ヴァルナは良く知られているように四姓階級であるが、一方ジャーティはあまり知られていない。ジャーティは日本語で「出自」という意味で職業集団(サブカースト)のことを示す。これが人々の職業労働を制約する原因となっているが、逆にこの制度があってこそ、下層の既得権(自分専用の職業を得る権利)が守られるのだともいえる。インド社会のDNAであるカースト制度は、一見諸悪の根元のようにも思えるが、悪い面ばかりで三千数百年も命脈を保てるはずもないのだ。伽台名人口の元に多元的な社会を抱えるインドに置いて、その平和と安定、ひいては、国家としての統一の保持に、カースト制度が寄与している側面のあることも、逃してはいけない。


「インド人のダメモト精神」
グローバル化の時代を生きるには、欧米人のみならず、インド人や中国人、韓国人との勝負もせけては通れない。ビジネスの世界では、ジェントルマン・シップだけでは勝負にならないケースが多いのだ。儒教精神をDNAにもつためか、今なおとかく引っ込みがちな日本人にとって、ダメもとインド人の積極性を見習うことは、国際舞台での度胸の強化にきっと役立つに違いない。語学など、自分だけで受け止め、責任のとれるダメもとなら、どんどん積極的にやったらいい。


「詭弁の名手」
インド人はとにかくおしゃべり好きであり、子どもの教育に一定時間内にできるだけ多くを喋り、相手を喋り倒すパフォーマンスの自習があるというのもうなずける。ビジネスにおける詭弁術に対しては、話の前提をなす部分の独断を見破り、論理の矛盾をついてやればいい。また、ビジネスのみならず広く国際舞台での折衝には、機先を制されないことが肝要である。


「花嫁焼死事件」
伝統的なヒンドゥー社会の結婚には、今なお残酷な持参金という悪習がつきまとう。しかもその額が膨大だ。よって、だれしも女の子を持つことは死活問題となり、女児は間引きの対象になりやすい。また、約束通りのものを全額引き渡したからとて、安心していられる話ではなく、一度持参金を食いつぶした母親(姑)は今一度持参金をせしめたいと言う欲望にかられ、花嫁を亡き者にするという行動に出るという。メディアの報ずるところによれば、1987年の全インドの花嫁焼死事件は1786件であると言う。